「きょうわたしは、いそがしくてそんなにあそべませんでした。」
小1の娘が書いた冬休みの絵日記の文。
はじめ、絵も書いてなかったんだけど、
「絵がないと絵日記じゃない。悲しい気持ちなら悲しい顔でもいいからかきな」
と言ったら
絵日記の用紙にかいてある雪だるまを真似て、少しアレンジして
なんともかわいい雪だるまを描いた。
文章を読んだときは、衝撃的で、
あれもしたし、これもしたし、
色々遊んだじゃん!!
って必死に言ったんだけど、
娘は自分の意思を貫き通した。
頑固というか、素直というのか
人の意見に屈しないところ、お見事。
私がその文を読んで脳裏に浮かんだのは
「これ、先生みるよな?教室に貼られたりするよな?何もしてあげてないと思われるんじゃないの!?」
まさに、自分がどう見られるのかの心配だった。
色々遊んだつもりでも
娘にとっては楽しい思い出とまではいかなかった。
そもそも、絵日記は楽しい思い出を描くものということ自体、オトナの勝手な決めつけだ。
自由に、のびのびと、思ったままに、ありのままに表現することを肯定してあげないでどうする。
自分の評価を気にして、こどもの表現を訂正しようとしたなんて
つまらないクソみたいなオトナになったもんだ、私。
と、思ったと同時に
やっぱり娘は娘のやりたい遊びを一緒にやってくれないという不満がどこかにあったんだな、と反省。
いくら、どこかに連れていったり、みんなで遊んだりしたところで、それは自分が「こうしたら楽しいだろう」と押し付けてるだけに過ぎない。
娘はごっこ遊びが好き。
正直、私は秒で飽きてしまう。
だから何かしら理由をつけて、後回しにしたりすぐ切り上げたりしてしまっていた。
娘のなかには、「一緒に遊んでくれない」という不満が蓄積してたんだろうな。
もっと、娘の心を幸せな気持ちで満たしてあげなきゃな。
満たしてあげたいな。
そして、自由に、ありのままに表現することを認めてあげたい。応援したい。
これは、自分のこどもに限らず、だ。
こどもよ、オトナの凝り固まった思い込みの重圧になんか、
負けるな!!
自由に、のびのびと!
常識を超えていけ!!
オトナがこどもの可能性をつぶしては、いけない。
気をつけよう。
明日もまた、楽しく生きます!!よろしく!
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