16記事目?くらいの投稿なんだが、
今さら、
携帯で見るとプロフィールが見れてないことに気づき、
ほんで、
私のことなんてだれも興味ないだろうと思って
自己紹介もほどほどに済ませてたけど、
何者かがわからないのに興味持ってもらうも何もないわな。
と思ってね。
それでも興味もってくれる人なんていたらラッキーってなもんだけど
何者かを話しておくね。
私はね、
これから有名ブロガーになる
今は何者でもない、平々凡々な兼業主婦です。
ドヤ。
小さいときは数人の友達としか話ができない、人前で一言も話せなくなるようなこどもでして、
それでいて断ることができないもんだから
断れずに学級委員になったり
断れずに生徒会に入ったり
断れずに劇の主人公(ゴキブリのリーダー役)をやったり
とにかく“いい子”でした。
都合の“いい”子、おとなし“いい”子。
私、しょちゅう忘れ物してたんだけど、
中学んとき
「忘れ物か。珍しいな。」
って同じ先生に3回言われたときは
「センセイってバカなの?大人ってアホなの?」
って心の中で思った(←すっげーヤなヤツ!!)。
中学までは勉強しなくてもそれなりにテストで点数とれてたから調子こいてて
高校受験で初めて挫折した。
志望校に落ちて滑り止めで受かってた私立の高校に行くことに。
ある日、全身緑の集団がみんな同じ方向に向かってチャリこいでる光景をみて
「うわっ!きもちわるっ!!!」
って思って、
学校いってもカネの話ばっかされるし
(一流企業に入れば、生涯でこれだけ収入に差が開く的な話だったと思う)
なんか、階段の下でパンチラ目的でたむろってる男子とかいるし
教室には何が楽しいのか知らないがキャッキャッキャッキャッ
無駄にキラキラしてる女子集団がいるし
「みんなきも!うざ!高校なんか来て意味あんの!?」
と思っていかなくなった。
でもまあ人間って追い込まれるとなんかしらの力を発揮するらしく
月曜1限目の授業の先生に「あと1回休んだら留年だよ」
って言われたら
「学校なんて行きたくないのに(辞めたいと言っても先生と親に反対された)あと1年多くいってたまるか!」
って月曜1限だけはちゃんと行くようになり
留年は免れ、ちゃんと3年で卒業した。
高校卒業後、「まだ働きたくない!」(バイトはしてたけど)
ってだけで行ける私立大学に行った。
(ちなみに高校、大学と奨学金を借りていて、300万円くらい返済したけどまだ半分残ってる。)
大学は地元を離れて他県に行ったこともあり、まんまとキャンパスデビューとやらを果たし、好き放題遊んだ。
そういったら、派手に夜な夜な遊んでたと想像するでしょ?
違うのよ。
わたし、根っからの“いい”子なんで、
大学の授業サボって、駐車場で綿あめ作ったり、シャボン玉ふいたり、水鉄砲打ち合いしたり。
(これマジだよ!やばいよね今思うと!やっぱり私の頭、小学校低学年で止まってるんだわ!うすうす気が付いてたけど、見てみぬふりしてきたけど!そしてそれに付き合ってくれる友人のなんと優しいことか!)
夜な夜なファミレスいっては朝までサークルの仲間と語りあってた。(手話サークル。授業そっちのけでサークルだけは頑張ってた)
大学生活残りわずかとなっても「まだ働きたくない!」
は、続いてて
同級生が就活に奮闘してるなか、
私はバイトを掛け持ちして、
「本当にじぶんがやりたいことを探すんだ!」って自分で自分に言いわけしてた。
(おかげでバイトは10か所以上経験した(^^;))
「ほんとうにこれでいいのか?」と思いつつも
その頃は「正社員=一生そこに勤めなきゃいけない」ってイメージが強くて、それがなんか気持ち悪かった。
大人が「“ちゃんとした”とこに勤めろ」という理由がわかるのは
こどもを産んだあと、人生で初めて正社員として働いてから。
「同じように働いて、“ボーナス”がもらえるなんてすごいな」
って実感した。
いよいよ私も地に足付けた“オトナ”になったかと思ったのもつかの間、
娘がまもなく2歳になろうとする頃、当時の夫と離婚し、私はシングルマザーとなった。
「離婚したい、離婚しよう」
そう考えるようになったときに真っ先に出てきたのは
「でもこれから私一人でどうやってこの子を育てていく?私の収入じゃとても足りない!」
という不安。
そのころは毎日のようにネットで情報をあさり、
【高等職業訓練促進制度】とやらをみつけ、
「これだ!」と思った。
計画通り、離婚した後はその制度を利用して働きながら給料と手当と給付をもらい、
お金の心配なく生活した。
でも、今生活できていても、先のことを考えて貯金するには足りない。
収入が高い職業などを調べるけど、現実的じゃない。お金のためと割り切って興味もない仕事をできるような性格じゃない。
そもそも今後の不安を抱えながら、娘と2人で生活していくのは、経済的にも精神的にも限界があるんじゃないか
そう考えるようになった。
「こんな田舎じゃ出会いもないし、こどもと2人っきりで年老いていくんだ」
(当時の私はそういってた、らしい。全然覚えてないんだけど、友人があとになって教えてくれた)
ただ、恋愛結婚なんて待ってたらいつになるかわからない。そもそも恋愛したい、なんて気持ちにもならなかった(^^; 男の人に興味がいかないというか、最初から、人生の伴侶をみつけるぞ!モードだった(^^;
娘をつれて結婚となると色々心配なこともあるし、、、
と、私は最初から条件をしぼって相手を探せるマッチングアプリに複数登録して
計画的に結婚相手を探すことにした。
(ここまで書いて、我ながらなんてゆうか、冷徹人間、、、)
で、見事私の条件、いや、理想の!!パパ像にピッタリはまる
優しさのかたまりのような
今の主人と出会い、
再婚を果たし
ようやく今に至るのです!!
ここまで読んでくれた人いる!?
もうあなたはすでに私のファンってことでいいかしら!?
それともただ単に忍耐強い方?
長いよね!?
でもまだ続くんだわ!ごめん!!!ギブアップだったら無理しないで!
で、
これ、私も主人もたまたま同じような仕事をしてたっていう共通点もあったからこそ親近感も湧いて
お互い興味をもつきっかけになったんだけど
わたし、福祉関係の仕事をしています。
高等職業訓練促進制度を利用して勉強したがために取得した資格を活かして
さまざまな縁もあって
シンママ時代の給料の2倍近い収入にアップしたんだけど
それでもまだ同性代の女性の平均年収よりは低く(これ、地方と首都圏での物価の違いとかもあるから一概には平均年収で比較できないけどね。収入高くても出費も高ければ残るお金は一緒だしね。でも見ちゃうよね)
なんといっても奨学金の返済がまだ残っていることもあるし
それに
こどもが「海外留学したい」とか「〇〇大学行きたい」とか
「あれやってみたい」「これがしたい」というときに
お金のことで諦めて欲しくない!
「お金の心配はしなくていいから、やってみなさい」って背中押してあげられる経済力が欲しい!
奨学金を借りなくても済むようにしたい!
そう思ったら、もっともっと、って欲が出て、
まだまだ全然安心できないのよ!!!
私はいくからね!がめつくいくからね!
34歳×あり2児の母、更年期の症状に効く漢方飲みながらも、
まだまだハングリー精神全開で!
みてなさいよ!
女は強いのよ!オンナを捨てた女は なおさら強いの!(捨てたつもりはないんだけどさ、昔っからなんかこー、おっさんが住んでるんだよね、私の中に)
わたしもさんざん回り道したけど、自分がやりたい仕事に出会えたように、
こども達にも、自分が何をしたいのか、探し続けることを諦めないでほしい!
そしてみつけて欲しい!
「お金の心配はしないで!」
そう言えるママに、私はなりたい。
あーそうか。そうだった。
ブログを始めた理由。
家族との時間も増えるし、在宅で仕事できたらいいなー。
それもあるけど、それだけじゃない。もっともっと先のことも考えて。だ。
あー良かった。おかげで見失いかけてた目標を再確認できた。
ありがとう。
これも
こんなに長い自己紹介に、最後まで諦めずにつきあってくれたあなたのおかげです。
もう、私があなたのファンになります。
良かったらコメント残して下さい。
誰もコメント書いてないから勇気がいるでしょうけど。差支えなければTwitterでも。
フォロワーを増やす作戦とかじゃなくて
(それもあるけど)
まじで、
最後まで読んでくれる人、いるのかな!?
って単純に興味あります!!(笑)
本当にありがとう。あなたの人生の貴重な時間を、少しの間、いただきました。
今後も末永いお付き合い、どうぞよろしくお願い申し上げます。
(いや、まだ付き合わせる気!!)
以上を持ちまして、私の超絶長文自己紹介を、閉じますm(__)m 礼。
※追記。
ブログ始めた頃は↑って思ってたけど
全然続かない!半年たったころピタっと投稿やんで
副収入を、どころじゃない。
今は
副収入じゃなくて本業としてやりたいことが出てきて
そのための準備をしなきゃと思っていて
そのために仲間をみつけたいんだけど
どうしたら出会えるのかわからなくて
そうか!!!と
ブログを発信源にしようかと。
ブログを私が日々考えてることを発信するツールにする。
いや、もともとブログはそういうものとして始めたんだけど
もう副収入としてじゃなくて
そっちのツールとしてに重きを置いてやっていこうと思います。
だから途中からがらりと発信内容が変わるかも。
定まってないので。ごめんね。
過去の投稿を消すのも面倒だからしばらく残すかも笑
また気が変わらないうちにそうするね。あっちこっちな内容になるけど許して!
発信していこうと思ったときに書いたのが、これ↓
改めまして、よろしくお願いします。
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