ろう者だけのものじゃないと思う、手話は。

ざっくばらんに。
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「ろう教育について」

卒論のテーマは確かこんな感じのにしたんだったと思う。

テーマ提出が3回あって、その都度テーマは変わったし、毎回期限ギリギリで、最終決定にいたっては、先生に催促されてやっとだした。

そんなテーマだけど、私のなかではきちんと書いたつもり。

そのとき興味のあったことを自分なりに調べてかいた。

研究まではいかなくても。

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手話+口話=バイリンガル教育

私は学生時代にサークル活動で手話を覚えて

ろう者との交流もあった。

そんなこんなで、ろう教育に興味があって、調べた。

その中で、当時は日本で唯一、バイリンガル教育を行っていた学校を見学にいったんだ。

バイリンガル教育ってのは、要は「手話」と「口話」両方を使った、両方覚える教育。

最近のこと、ちゃんと調べてないからわからないけど、

ろう教育は、「お国のために…!」だった時代の名残が根強いのか、「口話」つまり口の形で読み取る、発音の練習をする、そうして健聴者と“同じ”ように“話せるように”する教育が多かった。

でもこれって、英語わからない人に「英語で話せ!」って言ってるようなもんだ。

日本語が聞こえないのに「日本語で話せ!」って、

単純に考えて無理強いだと思う。

そのてん、

バイリンガル教育は

手話を覚え、手話で話すことで、ろう者としてのアイデンティティを尊重しつつ、社会で困らないように口話や発音も覚える

そんな感じだったと思う。

これに感銘を受けた。

自分のアイデンティティを確立して

自信をもって自分の考えや意見を発信できることが、まず第一に大事。

同感。

アイデンティティが確立したり、自信をもてたりすることが

その後色んな事にチャレンジする力になる。

私はそう思う。

何を隠そう、この私も、手話を覚えた当初は

自信に満ち溢れていた

気がする。

わかる人にだけわかる、という優越感

もともと人前で話すのが苦手な私は

声をださなくても話せる!

という新しいコミュニケーション方法を手に入れたこともあり

楽しくて仕方なかった。

なにより

授業中や、駅の反対ホームの同じサークルの友人に向かって

声を発さなくても伝わる 

しかも

わかる人にしかわからないという

プチ優越感も合わさって

私は有頂天、まではいかなくても

明らかに当時は自慢気だった

手話で話すことが

単純に楽しかった

児童発達支援における手話の在り方

なんか、すごい、頭良さそうなタイトルの書き方。

いかにも学術的見解を論じようとする気配さえ漂わせてるけど、

ただの体験談す。

学校卒業してからは

手話を使う機会もほとんどなく

忘れてる手話も多いと思うけど

それでも心のどっかで

せっかく覚えた手話、活用できたらなー

とは思ってる。

でもまあ使うとこもないまま、日々は過ぎ…。

しばらくして

わたしは児童発達支援に興味あって、「聞こえない人だけじゃなくて、言葉の意味はわかるけど、発語できない人とか、自閉症の人とかにも手話はコミュニケーションの一つとして有効なのではないか」

と、密かにずっと思ってた。

ラッキーなことに、やりたいと思ってたその仕事に就くことができたときがあって。

児童発達支援とは?の詳しい説明はする気ないから、(そこメインじゃないから)Google先生かYahoo先生にきいてね。ごめんね。

そのとき、こどもとのやりとりの中で、他の先生が「終わり」って手話使ってたの。

あれ?今の手話じゃない?

と思って調べたりきいたりしたら

どうやら児童発達支援の業界では、ジェスチャーと手話を混ぜたような「マカトンサイン」ってのがあるらしい。

なんだ、もうすでにあったのか。

いよいよ、手話はろう者だけのものではないよな。

ね?

だから言ったでしょ。

手話はろう者だけのものじゃないのよ。

例えばそれは、

言葉が出ない人に限らず

私みたいなあがり症だとか人前で話すことが苦手だとか、赤面症の人にも

英語覚える感覚で

新しいコミュニケーションを手に入れたら

それだけで自信につながるかもしれない!

って、確信し始めてて。

Twitterで検索したら、

やっぱり世の中おんなじようなこと考えてる人っているもんだわね。

それを実現していくか、そうでないかの違いがあるだけで。

手話通訳士…

とってみたいんだよね。

夫に話してみた。

なんでも基本オッケーしてくれる夫だが、

「仕事に直結するならあれだけど、趣味ならもう少し子育て落ちついてからでもいいんじゃない?」

何いってんの。

子育てが落ち着くときって何?

仕事に直結するかどうかじゃなくて、直結させればいいんじゃない?

心の中ではそう思った。

でも、もう私の中では作戦たててるので、反対されても焦りはない。

「だよね~。需要なさそうだもんね。でも、コロナの会見で結構いたよね?需要あるってことじゃない?」

とだけいっておいた。

手話通訳士の合格率って一桁台らしく。なおさらそそられる。

マニアックな人間になるほど、

ライバルが少ないし

需要ありそうじゃん?他にできる人がいないんだもん。

だから私はとるよ。

手話ができる

手話通訳士もってる

では説得力が違うからね。

この先、手話を広める活動をしていこうとか、児童発達支援の場で手話を使おうとか

具体的なことまで決めてないけど、

手話通訳士の試験にチャレンジしよう。

チャレンジするからには取得しよう。

それだけは決めてる。

今はまだ新しい仕事になったばかりだから控えめにしてるだけ。

おいおいチャレンジするよ。

まっ、そんな感じ!!

☆今日の1歩☆ 

チャレンジ宣言!

明日もまた、楽しく生きます!!よろしく!

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